平成21年2月4日の中国新聞「明日へつなぐ 第1部 地域医療の現場から 医師編2」において、庄司院長が紹介されました。今もなお院長の意志は当時とかわりません。多くの方にこの記事をお読みいただきたく、ここに転載いたしました。

 

 

 

 

※紙面のPDFを読むにはこちらから
  

明日へつなぐ

第1部 地域医療の現場から 医師編A
細る産科 引退できぬ
岩国病院 命の誕生を励みに

 早朝から続く外来の波がようやく途絶えた。診察室の時計を見ると、午後二時少し前。昼からは分娩、その後は入院患者の診察…。白髪を束ねた頭の片隅で、素早く予定を整理する。「今のうちに昼飯をとるか」。院内給食をかき込んで、何とか二時には再開できるな──。
 産婦人科と小児科のほか、内科や整形外科も掲げる岩国市の岩国病院。七十三歳になる庄司孝院長は、唯一の常勤の産科医でもある。五十年近い経験の中で、産科を取り巻く異変を実感する。「少子化が進んでいるのに昔より忙しい。産科医が減り、妊婦さんが数少なくなった病院に集中しているんです」

診察は週6日

 昨夏も、市内の産婦人科が分娩をやめた。「年齢的に僕もいつまでやれるか…」。地域の将来像は見えない。
 市内の出産できる病院・診療所は現在、三カ所。十年前の三分の一に減った。うち二カ所を自分たち開業医が支える現状。「精いっぱいやるしかない。今を切り抜けたら道が開けるはず」。自らにそう言い聞かせる。
 若い医師が年々、産科医を志望しなくなった。「実際、3K職場ですから」と庄司院長。同年代の医師が次々と引退する中、自身は週六日、一日平均七十人の患者を診察。二十四時間体制でお産に備える。
 パート勤務医らの応援も得て何とか維持しているのが実情。「働きづめの上に、医療訴訟のリスクも高い。若い人が敬遠しても仕方がないでしょう」

志す人は多い

 それでも、と思う。「新しい命の誕生に立ち会うのは、大きな生きがいです」。年間三百人以上の新生児を取り上げてきた。
 かつての赤ちゃんが妊婦となり、再びこの病院で出産することもしばしば。「孫娘がお産するようなもん」。笑顔はおじいちゃんのようだ。
 病院で生まれた子どもや母親を招き九年前、市内のホテルでクリスマス会を開いた。赤ちゃんから妊婦まで約六百人が集った。「彼女らのためにも頑張ろう」。決意が今も続いている。
「実は研修医で産科を志す人は多いんです」。庄司院長は指摘する。「彼らを引き留めるため、僕ができることは一つ。仕事の魅力を伝え、後輩たちを勇気づけることなんですね」
(和多正憲)

 

【産科医不足】
全国で産科医が不足し、分娩できる医療施設が減り続けている。県健康福祉部によると、二〇〇六年末時点で、県内の産科医は百十五人。一九九六年の百四十八人から、22.3%減となっている。分娩施設数所とも今月一月現在、病院と診療所を合わせて四十力所と減少傾向が続く。
 現場を支える開業医の高齢化も深刻だ。過去五年間で、県内で新規開業した産科は三カ所。若い医師の産科離れが深刻化している。